増上寺第三十六世祐天上人は、正徳4年(1714)増上寺を退隠し、名号の書写と念仏の生活を送りました。享保3年(1718)7月15日、弟子の祐海に「一寺を創営し、長時の念仏を修し、未来の衆生済度のために備えよ」と遺言をして、鉦を鳴らして仏名を称え、82歳にして西に向かわれました。祐海は遺命を受け、新寺建立禁止の世情ではありましたが、8代将軍吉宗公の許可を得て、善久院という寺に改めて祐天寺 の名を付し、祐天寺を開創されました。目黒の地に、祐天上人を開山と仰ぐ念仏道場は起立されたわけです。

 

祐天寺の由来

東京都目黒区中目黒五丁目にある浄土宗の寺院です。山号は明顕山。

 

祐天寺の仁王門

5代将軍綱吉の養女竹姫が、祐天上人の遺言によって、享保20年(1735)に寄進して建立しました。当山正面の両脇間に仁王像が立ち、門上方蟇股部分には、各方位に合わせた十二支の動物の彫刻があります。
(目黒区有形文化財になっています)

祐天寺の仁王門

鐘楼

梵鐘と鐘楼は、6代将軍家宣の17回忌追善のために、享保14年(1729)、正室天英院が寄進。以来「時の鐘」として、当山近辺の正午を知らせ、心に深く染み渡る音を響かせています。

 

阿弥陀堂

阿弥陀堂本尊阿弥陀如来は、寄木造り坐像。江戸時代の正統的な作風の像です。5代将軍綱吉の養女竹姫のご寄付によるもので、西方六阿弥陀の第6番に数えられています。

祐天寺の阿弥陀堂

散策路

百万遍供養塔  名号(みょうごう)の功徳報恩(くどくほうおん)のために、鍵屋善助という商人が発願して文政4年(1821)に建てたものです。 このほかに、さまざまな史跡がご覧いただけます。
 

 五社稲荷

上人ご誕生の日、白狐が3声鳴いたという随身稲荷をはじめ、松黒、富山、天白、妙雲の5社が、正一位五社稲荷大明神として祐天寺に祀られています。

祐天寺の稲荷社

累塚

上人が累という女性の怨霊を成仏得脱させたという伝説は有名で鶴屋南北がそれを歌舞伎化した作品が「法掛松成田利剣」です。大正15年には6世尾上梅幸、15世市村羽左衛門、5世清元延寿太夫らがこれを復活上演し、評判でした。この作品の一部である清元の人気曲「色彩間刈豆」は、よく上演されています。この碑は、復活公演に携わった3者から寄付されたもので、茨城県法蔵寺より累一族の墓士を分けて祀ってあります。舞台で累の芸能を演じる前には必ず当寺に参拝します。

 

精進堂

第二十世巖谷勝雄上人が、昭和48年(1973)に建立しました。当寺の檀家の皆さまの法要後のお斎の場として、また、毎夏、小学生を対象に行われる「精進道場」や、附属幼稚園の園児を対象としました「てらこや」などの教化活動の場として使用されています。

 

寺務所

新寺務所が平成14年(2002)に完成しました。法要やご祈願の受付はこちらで承っています。お線香やお守り、おみくじなどの頒布もいたしています。お気軽にお立ち寄りください。

祐天寺の寺務所

祐光殿

新寺務所と同じく、平成14年(2002)に改築が終了し、新しい講堂(祐光殿)が完成しました。主に幼稚園行事に利用されますが、歴史ある木造建築保護のため、これまで本堂や地蔵堂などで行っていた葬送儀礼も、祐光殿でお勤めさせていただいています。

 

    祭壇                  

    葬儀の事は                                                                       

 

   

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    供花の事は

 

浄土宗(じょうどしゅう)

法然上人(ほうねんしょうにん)源空(げんくう)を開祖とし、阿弥陀仏(あみだぶつ)に帰命(きみょう)し、その本願(ほんがん)を信じ、称名念仏(しょうみょうねんぶつ)によって、その浄土への往生(おうじょう)を期することを教旨としています。知恩院(京都市東山区)を総本山とし、増上寺(東京都港区)、金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)(京都市左京区)、知恩寺(京都市左京区)、清浄華院(しょうじょうけいん)(京都市上京区)、善導寺(ぜんどうじ)(福岡県久留米(くるめ)市)、光明寺(こうみょうじ)(神奈川県鎌倉市)、善光寺大本願(長野市)を大本山とします。


浄土宗の焼香マナー

1.仏前に軽く頭を下げます。

2.数珠をかけた手を静かに合わせて合掌します。

3.お香をつまんで、軽くおしいただき香炉に入れます。回数は1回でも構いませんが、正式な回数は3回になります。

4.再び数珠をかけた手を合わせ合掌します。

5.僧侶、遺族に一礼し席に戻ります。

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